プロ野球選手 那須野巧

那須野巧は、1982年生まれで東京都出身の元プロ野球選手です。駒場学園高校を卒業後、進学した日本大学時代に能力を開花させました。4年生春のリーグ戦では、5勝0敗で防御率0.39と抜群の成績を残してチームを優勝に導きました。2004年秋に開かれたドラフト会議では、横浜ベイスターズから自由獲得枠での指名を受けてプロ野球界入りしたのです。

1年目は8試合に登板して1勝2敗の成績で、即戦力としての期待を大きく裏切る形になりました。2年目は16試合に登板して3勝8敗で、本来の実力をなかなか発揮できません。2007年は、成績以外で「那須野巧」という名前が世間に大きくクローズアップされました。入団時に球団から支払われた契約金が、5億3千万円で1年目の年俸が3千万円だったことが発覚したのです。プロ野球界では、新人選手に支払われる金額は「契約金が1億円で出来高を付ける場合は5千万円、年俸は1500万円が上限」との申し合わせがされています。

これを大幅に超える金額が支払われていたので、大騒動になりました。事件が発覚してからは那須野巧を見る世間の目は厳しく、成績も伸び悩みました。2009年シーズン終了後には、トレードで千葉ロッテマリーンズに移籍しましたが、1度も1軍に上がれずに2011年のシーズン終了後に戦力外通告を受けたのです。

那須野巧