読売ジャイアンツを代表する名投手の一人に江川卓がいます。およそプロ野球を知っている人なら、この偉大なピッチャーの名前を知らない人はいないでしょう。それほど彼の速球と切れのあるカーブは定評があり、ジャイアンツの優勝に何度も貢献しているのは周知の事実です。
しかし、彼がジャイアンツに入団する際、プロ野球界を揺るがす大きな問題が起こりました。俗に言う江川事件です。江川卓は高校時代、作新学院のエースとして甲子園球場を湧かせるスーパーエースでしたが、高校卒業後は法政大学に入学、彼が4年制の1977年11月に行われたドラフト会議では、福岡氏を本拠地とするパリーグ球団が一位指名権を持ったため、彼はこの指名を拒否することになりました。そして、大学卒業と同時に、作新学院職員という身分で南カリフォルニア大学へ聴講生として野球留学を行うこととなりました。社会人野球へ入団すると最低2年間はプロへの道が閉ざされるため、留学という道を選択したのです。そして、1978年11月20日、彼は突如野球留学を切り上げ、11月21日に巨人と入団契約を交わしているのです。巨人側はドラフト前は自由の身であるため、ドラフト外の選手として契約することは法的な問題はないという主張をしています。これが各球団の猛反発を招き、この年のドラフト会議を巨人がボイコットするなど、球界は揺れに揺れる年となりました。
最終的に、コミッショナーのはからいにより、江川卓は一度は交渉権を持つ阪神に入団し、巨人の小林茂投手とトレードという結果に終わっていますが、マスコミは彼を非難する記事が多く、残念に思ったジャイアンツファンも少なくなかった考えられます。